岡山県高梁市の山の中。
ちいさな一軒家での4人と1匹の暮らし。
[1]
[2]
今年も気がつけば年の瀬。
ブログの更新はやはり出来てなかったなぁ〜
この冬の時期を今年の頭の整理がてらブログを書こう。
旧暦だと師走は始まったばかり。
まだまだある家でのやり残しをのんびり片付けよう!
ブログの更新はやはり出来てなかったなぁ〜
この冬の時期を今年の頭の整理がてらブログを書こう。
旧暦だと師走は始まったばかり。
まだまだある家でのやり残しをのんびり片付けよう!
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いまはもう亡くなった祖母が言った。
「わたしが生きている間にもう戦争はしてほしくない」と。
孫のわたしの前でそう言ったのだ。
何度も繰り返されるはなしのひとつに、
「子供の頃は市松さんみたいな髪の毛でね、大きくなったら髪の毛を結うのが楽しみねって良く言われていたの。」
というのがあった。
にこにこしながらうれしそうに話してくれるのだ。
だけれど、祖母の青春時代は戦争だった。
自慢の豊かな黒髪を結う日はこなかったのだ。
2013年、私は母になった。
信じられないことに今では、私のお腹からでてきた命がふたつもこの世界に存在しているのだ。
それは私のものではない。
でも間違いなく自分よりも大切な、かけがえのないものができたのだ。
彼らがもって生まれてきたそれぞれの個性を、なくしてしまわないように、私にできるのは本当にだいじなことを確認しあって一緒に暮らしていくこと。
彼らが正当化された中で、誰かを傷つけたり傷つけられたりする社会になってしまわないように、それだけは絶対に絶対に嫌なのだ。
今から7.8年も前から、この日本の雰囲気が戦前に似てきたと言っていた人がいたんだ。
それでもここまできてしまった。
選挙権のある今のうちに、政府の暴走をとめたい。
基本的人権や表現の自由が奪われてしまわないように。
わたしが生きている間にも、この小さい人達が生きていく間にもその先にも、おいしいごはんをおいしいと言いながら笑い合える時間が、のびのび遊べる空間が、安心できる寝場所が存在しますように。
みんなで少しだけでも勉強して、7/10の参議院議員選挙に行きましょう。
以下参考に。
自民党が作りたい世界→https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8
三宅洋平の選挙フェスの映像(今の政治の問題点がとても分かりやすい)→https://www.youtube.com/watch?v=4hnCHVuzVFI
みんなで少しだけでも勉強して、7/10の参議院議員選挙に行きましょう。
以下参考に。
自民党が作りたい世界→https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8
三宅洋平の選挙フェスの映像(今の政治の問題点がとても分かりやすい)→https://www.youtube.com/watch?v=4hnCHVuzVFI
長いこと更新してなかったブログ。
久しぶりに更新します。
震災、原発事故から今日で4ヶ月。
世の中は善くも悪くも
大きく変化し
色々なものが明らかになって来ていると思います。
これから、日本だけでなく、世界の人が
どのようになっていくのか。
不安と期待に包まれたまま
僕らは、埼玉から岡山に拠点を移しました。
そして今日、インターネット開通!!
先月の20日に
ここに荷物を運び入れて
片付けに追われた日々
ここ何日かにやっと染め物に気が向けられるくらいになってきました。
まだまだやることは
山のようにあるし
今までのように生活するまでには
もっともっと時間がかかるんだろうなぁ〜
でも、楽しいよ!
あらゆるところに棚を増設したり
家の周りの草を刈ったり
今日は染め物用の竃小屋を建てるべく
ここに残されていた材料で骨組みを作りました。
完璧なまでのバラックっぷり
出来上がった暁には写真でも載せます。
少し話を戻して
ここ岡山に来ることになったのは
原発事故そして放射能
何度か関東にも戻った時に
水や食べ物に気をつけながら生きること
放射能が入ってるかもしれない草木で染め物をすること
そんなことを考えながら生きていくことは
僕らにはできないなぁ〜って思いました。
避難し始めた頃
もう一度飯能で暮らすことを
考えていたときもありました。
一時期は悔しくて悲しくて
精神的にバラアンスを崩したときもありました。
今まで生きてきた中で
この4ヶ月ほど、選択に迫られたときは
無かった気がします。
でも、今は
新しいチャンスを貰えたんだと考えています。
今までやりたくてもできなかったこと
それがここでは実現するんじゃないかと思ってます。
畑や田んぼ
生活の中から生まれて来る作品作り
今日やった小屋作りも然りです。
生活を自分たちの手で作り上げていくこと。
これからは
新しいはおにろの日々の始まりです。
そして、僕らが
移住を決めた目的は
もう1つ
これから遠くない未来
東北や関東に住んで居る人達が
今まで以上に移住を決意する人が増えてくると思ってます。
そんな時に何かの役に立てたらと考えています。
もし、移住を決めたら
是非、僕らを使って下さい。
また、関東に残ることを決めた人達には
こっちで穫れた野菜を
送れるようにできたらとも考えてます。
その為のネットワークも広げてます。
連絡下さいね。
全ての人が
土から切り離されずに生きていけますように。
はおにろ
haoniro@gmail.com
久しぶりに更新します。
震災、原発事故から今日で4ヶ月。
世の中は善くも悪くも
大きく変化し
色々なものが明らかになって来ていると思います。
これから、日本だけでなく、世界の人が
どのようになっていくのか。
不安と期待に包まれたまま
僕らは、埼玉から岡山に拠点を移しました。
そして今日、インターネット開通!!
先月の20日に
ここに荷物を運び入れて
片付けに追われた日々
ここ何日かにやっと染め物に気が向けられるくらいになってきました。
まだまだやることは
山のようにあるし
今までのように生活するまでには
もっともっと時間がかかるんだろうなぁ〜
でも、楽しいよ!
あらゆるところに棚を増設したり
家の周りの草を刈ったり
今日は染め物用の竃小屋を建てるべく
ここに残されていた材料で骨組みを作りました。
完璧なまでのバラックっぷり
出来上がった暁には写真でも載せます。
少し話を戻して
ここ岡山に来ることになったのは
原発事故そして放射能
何度か関東にも戻った時に
水や食べ物に気をつけながら生きること
放射能が入ってるかもしれない草木で染め物をすること
そんなことを考えながら生きていくことは
僕らにはできないなぁ〜って思いました。
避難し始めた頃
もう一度飯能で暮らすことを
考えていたときもありました。
一時期は悔しくて悲しくて
精神的にバラアンスを崩したときもありました。
今まで生きてきた中で
この4ヶ月ほど、選択に迫られたときは
無かった気がします。
でも、今は
新しいチャンスを貰えたんだと考えています。
今までやりたくてもできなかったこと
それがここでは実現するんじゃないかと思ってます。
畑や田んぼ
生活の中から生まれて来る作品作り
今日やった小屋作りも然りです。
生活を自分たちの手で作り上げていくこと。
これからは
新しいはおにろの日々の始まりです。
そして、僕らが
移住を決めた目的は
もう1つ
これから遠くない未来
東北や関東に住んで居る人達が
今まで以上に移住を決意する人が増えてくると思ってます。
そんな時に何かの役に立てたらと考えています。
もし、移住を決めたら
是非、僕らを使って下さい。
また、関東に残ることを決めた人達には
こっちで穫れた野菜を
送れるようにできたらとも考えてます。
その為のネットワークも広げてます。
連絡下さいね。
全ての人が
土から切り離されずに生きていけますように。
はおにろ
haoniro@gmail.com
日曜の朝。ひろあきが飯能の友人達と田ノ浦へと向かいました。
今朝からはツイッターやUstreamで、現地の緊迫した様子がガンガン入ってきます。
テレビではやっぱり報道されていないらしい。
中国電力に電話しました。
うしろからたくさんの話し声が聞こえて来ていたから、きっと今日は電話がたくさん鳴っただろうと思います。
ながいこと、ていねいに相手をしてくれました。
電話を切ったあとからずっと考えてみています。
ひとつわかったこと。
私と彼(電話の相手)の決定的な違いは、「信じていること」なんだよね。
たったそれだけなんだけど、これが生み出す壁はたかい。
そういえば、反対派住民をカルトと呼ぶ人達がいたことも思い出した。
だけれど絶対に共通するだいじなことがある!
祝島の人達はそうやって信じて30年間やってきたんだろうと思う。
なんだかとってもカラッとしてるんだよなぁ。
なつめちゃんの今日のつぶやきより引用
祝島のお母さんの叫びが聞こえた「あんたたちはお金の為に仕事する。わしは海を守るためにここにいるんじゃ!!」あともひとつ。立入禁止の看板みて、歩ふく前進で入っていく島のお母さん。「立って入らなければいいんだろ」みんな笑ってました!
何年か前まで私は、新聞やテレビで報道される以外の、日本で起こっている問題などこれっぽちも知らずに、ただ日々自分に起きてくる問題だけをクリアーしたりやりすごしたりして生きていた。
だけれど、もう知っちゃったんだもの。
知らなかったほうが幸せーって思うことだらけだけれど、これはもう信じるもの、生き方のもんだい。
わかりやすく生きたい。
私は自分で選んで嫌なものは嫌だって言える環境にいるし、キモチワルイ生き方はしたくない。
っていうのが今日31歳になった私が思ったこと。
以下、ヒロアキと現地に向かったはなちゃんの今日のmixiの日記
見れる方はぜひ読んでみて下さい
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1677791114&owner_id=7975344
一人と一匹で過ごすはずだった誕生日に、夕方、腕を骨折した友達がやってきた。
うれしいプレゼントだったなー。
どうか明日の田ノ浦に、けが人や逮捕者がでませんように。
中国電力が強行的なやりかたを見直してくれますように。
今朝からはツイッターやUstreamで、現地の緊迫した様子がガンガン入ってきます。
テレビではやっぱり報道されていないらしい。
中国電力に電話しました。
うしろからたくさんの話し声が聞こえて来ていたから、きっと今日は電話がたくさん鳴っただろうと思います。
ながいこと、ていねいに相手をしてくれました。
電話を切ったあとからずっと考えてみています。
ひとつわかったこと。
私と彼(電話の相手)の決定的な違いは、「信じていること」なんだよね。
たったそれだけなんだけど、これが生み出す壁はたかい。
そういえば、反対派住民をカルトと呼ぶ人達がいたことも思い出した。
だけれど絶対に共通するだいじなことがある!
祝島の人達はそうやって信じて30年間やってきたんだろうと思う。
なんだかとってもカラッとしてるんだよなぁ。
なつめちゃんの今日のつぶやきより引用
祝島のお母さんの叫びが聞こえた「あんたたちはお金の為に仕事する。わしは海を守るためにここにいるんじゃ!!」あともひとつ。立入禁止の看板みて、歩ふく前進で入っていく島のお母さん。「立って入らなければいいんだろ」みんな笑ってました!
何年か前まで私は、新聞やテレビで報道される以外の、日本で起こっている問題などこれっぽちも知らずに、ただ日々自分に起きてくる問題だけをクリアーしたりやりすごしたりして生きていた。
だけれど、もう知っちゃったんだもの。
知らなかったほうが幸せーって思うことだらけだけれど、これはもう信じるもの、生き方のもんだい。
わかりやすく生きたい。
私は自分で選んで嫌なものは嫌だって言える環境にいるし、キモチワルイ生き方はしたくない。
っていうのが今日31歳になった私が思ったこと。
以下、ヒロアキと現地に向かったはなちゃんの今日のmixiの日記
見れる方はぜひ読んでみて下さい
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1677791114&owner_id=7975344
一人と一匹で過ごすはずだった誕生日に、夕方、腕を骨折した友達がやってきた。
うれしいプレゼントだったなー。
どうか明日の田ノ浦に、けが人や逮捕者がでませんように。
中国電力が強行的なやりかたを見直してくれますように。
以下、友人からのメールです。
『緊急』事態でメールを送っています。
ピンと来た方は、
繋がりある所へ
転送転載して頂きたいです。
以下長文ですが、
読んで頂けたら嬉しいです。
山口県上関町から
『緊急情報!!』が
入りました。
山口県上関町(かみのせきちょう)田ノ浦で、
原子力発電所建設工事が
大規模に再開するという
緊急情報が入りました。
ほぼ確実に行われそうです。
「2月21日月曜日」
今までで最大の人数で作業が強行されそうです。
陸と海からの作業は、合わせて500人くらいの作業員数になるかもしれないとのこと。
海を埋め立てるための作業台船は、祝島の漁船を上回る数で動くだろうということ。
かなりの緊急事態です。
ドキドキしてます。
行ける人は現地に一緒に行ってみませんか?
車を出せる人、
行きたい人、
行けないけど何らかの形で参加したい人、
質問などなど
なつめ宛てに
連絡ください。
私は今日20日の夕方に
神奈川県逗子から向かいます。
月曜の朝6時頃には着くように動く予定です。
逗子から車を2台、
出してもらえることになりました。
19日の夜の時点で、まだ2人ほど乗れるようです
各地、
向かう方がいたら、乗り合いで行けるようにシェアしてきたいですね!
車で向かう方、
連絡もらえると有難いです。
当日の現場は、
かなりの混沌とした状況になりそうです。
だけど、
どんな修羅場になっても
冷静に!愛と希望を持ち続ける!
直接的な抗議行動をする場合は、かならず祝島の方々やカヤック隊の様子をみながら、参加してほしいです。
海から参加する方は、
ウェットスーツや
サーフボードがあった方がよさそうです。
急なメールで
こんな内容でごめんなさい。
推進派の方や、
上関町の中でも苦しんでる方、との対立を生むと感じこういった発信ができなくなり、もがく日々を送ってました。
でも今回は、
そんな事言ってる場合じゃなくて。。
上関町や、あの大自然が、壊されてからじゃ遅いのです。
この文をみて
嫌な気持ちになってる方いたら、「本当にごめんなさい」
でも
これは対立じゃないです!
未来を思い描き
皆で力を合わせて、
あの生き物の宝庫、
瀬戸内の海を残していきたいのです。
現場で働いている、
中国電力さん
下請会社の方々
警備員さんは
敵ではありません。
私たちが生み出してる(例えば私なら、選挙に行かなかった過去とか・・)ものが、
今の社会の仕組みを作っていると思うからです。
だから自分自身の学びのために、
次のアクションを具体的にするために、
現地に行こうと思います。
余談ですが、
今年の年越しは
上関町で過ごしました。
上関温泉でよく会うおばちゃんや、居酒屋で相席した漁師のおっちゃん、上関教育委員会のおばちゃん、限界集落の八島のおばちゃん、、、
原子力発電所建設に推進してる方たちとの対話の中で感じたこと
みんな幸せに暮らしたいだけなんだ。
ってことです。
推進派の漁師のおっちゃんは、
余所者のお前達が上関町をおかしくする、歴史も何もわかっとらん!って怒ってたけど、お酒を交わしながら1対1で話す中で、最後に言ってくれた言葉があります。
「あなたの事、9割は認めんけど1割は認めてやる。
この海を好きでいてくれてありがとう。また飲もう。」
反対だけじゃ
何も始まらない。
次の提案をして、上関町が原発じゃない選択をする手助けが必要なんですよね。
だからこそ今、
作業が進められてはどうしても!!困ります。
上関町が私にとって心の故郷となったから。
これ以上、
自然を壊したらいけないと肌で感じたから。
そう単純に感じるのです。
現地に行こう!!
なんて、
あんまり声かけるものではない気もします。
かなりシビアな現場だし、抗議行動を強要するなんて、おかしな話。。
でも、真実が語られないまま作業が進んでしまっては、
取り返しがつかない事になるんです。
過疎化の進んだ田舎がターゲットになってるけど、、
他人事じゃなくて、私たちが使っている電気の話です。私たち自身の課題なんだと感じます。
そんなこんなで、
今回は突き動かされて、皆さんにメールを送っています。
タイミングが合えば1日でも現地へ行ってみませんか?
泊まりたい方も
浜にはテントがはれますし、ゲストハウスなど紹介できると思います。
来られる方は、
寒くて天候が悪い恐れがあるので、十分な防寒水をしてきてください。
食堂やスーパーコンビニなどは近くにありません。
食べ物飲み物、各自で用意していったほうがいいです。
またビデオや、ユーストリームなどで配信できる物を持っていたらお願いします。
今回来れない方も、
どうか意識を向けてほしいです。
ここの現実を知ってください。
今の状況は、
・祝島島民の会
・虹のカヤック隊
のblogなどで配信されているはず。
確認してください。
私もできる限り
ツイッターやmixiで
発信していきます。
真実をみなさんと共有できるように発信します。
繋がって頂けたら嬉しいです。
いろいろある今だからこそ、力を合わせて次の時代を創っていきたいです。
ピンチはチャンス!
とはこの事かもしれないです。
『緊急』事態でメールを送っています。
ピンと来た方は、
繋がりある所へ
転送転載して頂きたいです。
以下長文ですが、
読んで頂けたら嬉しいです。
山口県上関町から
『緊急情報!!』が
入りました。
山口県上関町(かみのせきちょう)田ノ浦で、
原子力発電所建設工事が
大規模に再開するという
緊急情報が入りました。
ほぼ確実に行われそうです。
「2月21日月曜日」
今までで最大の人数で作業が強行されそうです。
陸と海からの作業は、合わせて500人くらいの作業員数になるかもしれないとのこと。
海を埋め立てるための作業台船は、祝島の漁船を上回る数で動くだろうということ。
かなりの緊急事態です。
ドキドキしてます。
行ける人は現地に一緒に行ってみませんか?
車を出せる人、
行きたい人、
行けないけど何らかの形で参加したい人、
質問などなど
なつめ宛てに
連絡ください。
私は今日20日の夕方に
神奈川県逗子から向かいます。
月曜の朝6時頃には着くように動く予定です。
逗子から車を2台、
出してもらえることになりました。
19日の夜の時点で、まだ2人ほど乗れるようです
各地、
向かう方がいたら、乗り合いで行けるようにシェアしてきたいですね!
車で向かう方、
連絡もらえると有難いです。
当日の現場は、
かなりの混沌とした状況になりそうです。
だけど、
どんな修羅場になっても
冷静に!愛と希望を持ち続ける!
直接的な抗議行動をする場合は、かならず祝島の方々やカヤック隊の様子をみながら、参加してほしいです。
海から参加する方は、
ウェットスーツや
サーフボードがあった方がよさそうです。
急なメールで
こんな内容でごめんなさい。
推進派の方や、
上関町の中でも苦しんでる方、との対立を生むと感じこういった発信ができなくなり、もがく日々を送ってました。
でも今回は、
そんな事言ってる場合じゃなくて。。
上関町や、あの大自然が、壊されてからじゃ遅いのです。
この文をみて
嫌な気持ちになってる方いたら、「本当にごめんなさい」
でも
これは対立じゃないです!
未来を思い描き
皆で力を合わせて、
あの生き物の宝庫、
瀬戸内の海を残していきたいのです。
現場で働いている、
中国電力さん
下請会社の方々
警備員さんは
敵ではありません。
私たちが生み出してる(例えば私なら、選挙に行かなかった過去とか・・)ものが、
今の社会の仕組みを作っていると思うからです。
だから自分自身の学びのために、
次のアクションを具体的にするために、
現地に行こうと思います。
余談ですが、
今年の年越しは
上関町で過ごしました。
上関温泉でよく会うおばちゃんや、居酒屋で相席した漁師のおっちゃん、上関教育委員会のおばちゃん、限界集落の八島のおばちゃん、、、
原子力発電所建設に推進してる方たちとの対話の中で感じたこと
みんな幸せに暮らしたいだけなんだ。
ってことです。
推進派の漁師のおっちゃんは、
余所者のお前達が上関町をおかしくする、歴史も何もわかっとらん!って怒ってたけど、お酒を交わしながら1対1で話す中で、最後に言ってくれた言葉があります。
「あなたの事、9割は認めんけど1割は認めてやる。
この海を好きでいてくれてありがとう。また飲もう。」
反対だけじゃ
何も始まらない。
次の提案をして、上関町が原発じゃない選択をする手助けが必要なんですよね。
だからこそ今、
作業が進められてはどうしても!!困ります。
上関町が私にとって心の故郷となったから。
これ以上、
自然を壊したらいけないと肌で感じたから。
そう単純に感じるのです。
現地に行こう!!
なんて、
あんまり声かけるものではない気もします。
かなりシビアな現場だし、抗議行動を強要するなんて、おかしな話。。
でも、真実が語られないまま作業が進んでしまっては、
取り返しがつかない事になるんです。
過疎化の進んだ田舎がターゲットになってるけど、、
他人事じゃなくて、私たちが使っている電気の話です。私たち自身の課題なんだと感じます。
そんなこんなで、
今回は突き動かされて、皆さんにメールを送っています。
タイミングが合えば1日でも現地へ行ってみませんか?
泊まりたい方も
浜にはテントがはれますし、ゲストハウスなど紹介できると思います。
来られる方は、
寒くて天候が悪い恐れがあるので、十分な防寒水をしてきてください。
食堂やスーパーコンビニなどは近くにありません。
食べ物飲み物、各自で用意していったほうがいいです。
またビデオや、ユーストリームなどで配信できる物を持っていたらお願いします。
今回来れない方も、
どうか意識を向けてほしいです。
ここの現実を知ってください。
今の状況は、
・祝島島民の会
・虹のカヤック隊
のblogなどで配信されているはず。
確認してください。
私もできる限り
ツイッターやmixiで
発信していきます。
真実をみなさんと共有できるように発信します。
繋がって頂けたら嬉しいです。
いろいろある今だからこそ、力を合わせて次の時代を創っていきたいです。
ピンチはチャンス!
とはこの事かもしれないです。
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プロフィール
HN:
はおにろなほ
年齢:
44
性別:
女性
誕生日:
1980/02/21
職業:
つくりもの
自己紹介:
埼玉県飯能市→岡山県高梁市。
原発事故の翌日から始まった、自主的避難生活。
たくさんの人につながって、ながれついた先は岡山県。
どうしようもない思いに、お腹のそこから声をあげて泣いた日もありました。
そんな中で出会ったあたらしい仲間たち、そばにいてくれた見慣れたおとなやこどもたち。
わたしたちのたいせつなこと、たいせつなもの。
もういちど、深くかみしめざるをえなかった。
今やっと、あたらしいお家で仕事を始めることができました。
ちょっと山の中の、こじんまりとしたすてきなお家です。
助けてくれた多くの人たち、どうもありがとう。
もし、移住を考えている人がいたなら、どうか私たちを頼ってください。
はおにろは、ここ岡山で再出発です。
さあ、ぼっけえいいもの、作るぞ。
原発事故の翌日から始まった、自主的避難生活。
たくさんの人につながって、ながれついた先は岡山県。
どうしようもない思いに、お腹のそこから声をあげて泣いた日もありました。
そんな中で出会ったあたらしい仲間たち、そばにいてくれた見慣れたおとなやこどもたち。
わたしたちのたいせつなこと、たいせつなもの。
もういちど、深くかみしめざるをえなかった。
今やっと、あたらしいお家で仕事を始めることができました。
ちょっと山の中の、こじんまりとしたすてきなお家です。
助けてくれた多くの人たち、どうもありがとう。
もし、移住を考えている人がいたなら、どうか私たちを頼ってください。
はおにろは、ここ岡山で再出発です。
さあ、ぼっけえいいもの、作るぞ。
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