父ちゃんがいつのまにかブログを再開してくれていた。
ので、ご報告をかねてFacebookに書いていた日記をここに少し編集して。
12月19日、35週と4日,予定日よりひと月も早く産まれちゃいました。
今回も助産院で産めなかった!リベンジ失敗。
(助産院での出産は37週以降から、長男はあと2日の差で産めなかった)
提携の病院での検診を受けて、「ちょっとさがってますから安静に、子宮口は開いてないから大丈夫だけど」と言われ、「はり止めの薬いりますか?」「安静にするから大丈夫です〜」。
何て言っていたその日もいっぱい寄り道して帰って、(ついついたまに町にでるとね、だめ母ちゃんでごめんよー)ヒロアキは夜ごはんを食べて、お豆さんずライブのため岡山市内まで外出。
異変が起きたのはそのあとで、なにやら生暖かいものがちょろちょろながれでてくる。
いやいやまさか。いやまさか。
ヒロアキに電話。助産院に電話。
羊水って特有の匂いがするのだけど分かる?といわれ、うーーむ分からん。
前回破水したのは陣痛が来てからだったし、車の中だったしな。
とにかく実際の私はこんなに落ち着き払ってはいなく、もう22時頃だったしとにかく急いでタクシーでおいでと言われても、この山の中タクシーって一体どこからくるのだ?車はないし。ヒロアキが帰ってくるには1時間弱はかかる。そこから助産院までもまた1時間。
そこで浮かんだのが近所の友達夫婦の顔。
すっとばしてやってきてくれましたよ。
布団から起き出して、自分とこの赤ちゃん抱えて。
長男は車に乗ったとたん、友達の横ですやすや。
この家族のおかげですっと気持ちが楽になり、まだ陣痛も来てないもんだから楽しい車中になりました。
ああこれは破水だねっと確定された助産院でヒロアキと落ち合って、人生初の救急車で病院へ。
「母ちゃんきみの大好きなピーポーに乗るよー!」なんて声は届かず眠っている長男。
この時点でも大した陣痛はなく、ああこれからあの痛みがくるんだわーなんて思いながら、ついて来てくれた助産師さんと救急隊員のお兄さんと、お腹のこどもの性別のあてっこ。
私だけが正解を知らぬまま病院に到着。
ここから陣痛がちゃんと来て、2時間50分後。
ああーこんな痛かったよ。そうだったよー!!ふうううふううううう!という雄叫びのなか、ちゃんと眼を覚ました長男とヒロアキ立ち会いのもと、産まれてきましたちっこい男の子。
あれから3ヶ月。おおきくなったおちび、元気です。
長男もおしゃべりがすっかり上手になって、イヤイヤ全開のときもありますが、もうひとりで友達の家にお泊まりを果たし、相変わらずおもしろかわいいです。
わたしはといえば、ぎっくり腰に40度越えの熱から、おっぱいに長男の口元からうつったヘルペス。搾乳の日々。仕事で父ちゃん不在の間、友人家族や義妹がいっぱい助けてくれました。
初めておっぱいがでにくくなってめそめそしていたら、またまた前述の友達が絞ったおっぱいを毎日届けてくれて。
悩んで悩んでまた別の友達にヤギ乳を送ってもらったり。
結局そういう安心をたくさんもらったら、またおっぱいでるようになりました。
長男のときとは違うはちゃめちゃな日々ですが、いっこいっこ乗り越えて、色々きづいたこともありました。
人に頼ることが苦手だったわたし、助けてもらってばっかりです。
そんな人達が周りにいてくれること、とても誇りに思うようになりました。
ながーくなりましたが、自分のための備忘録も兼ねて。
今後とも家族一同よろしくお願いします。
みんないつもありがとう。
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原発事故の翌日から始まった、自主的避難生活。
たくさんの人につながって、ながれついた先は岡山県。
どうしようもない思いに、お腹のそこから声をあげて泣いた日もありました。
そんな中で出会ったあたらしい仲間たち、そばにいてくれた見慣れたおとなやこどもたち。
わたしたちのたいせつなこと、たいせつなもの。
もういちど、深くかみしめざるをえなかった。
今やっと、あたらしいお家で仕事を始めることができました。
ちょっと山の中の、こじんまりとしたすてきなお家です。
助けてくれた多くの人たち、どうもありがとう。
もし、移住を考えている人がいたなら、どうか私たちを頼ってください。
はおにろは、ここ岡山で再出発です。
さあ、ぼっけえいいもの、作るぞ。